アマヤドリ本公演『月の剥がれる』出演者紹介!  
月の剥がれる_出演者紹介_木村聡太
木村 聡太 大阪府出身 1994年生まれ
昨年から本格的に芝居を始め、今作 再演『月の剥がれる』でアマヤドリ初参加。
上京したてで東京の電車の難しさに腹を立てているが、
よく考えると大阪でもしょっちゅう間違えていた。
主な出演作はMV butter butter『一限目:数学』、舞台N2『居坐りのひ』など。

─『月の剥がれる』という作品についての木村さんの考えをお聞かせください。

 僕自身まだお芝居をはじめてから日が浅いので、他の演劇作品と比べてどうかみたいなことは言えないのですが、台本を読んだだけの今の状態の感覚を言うと、この作品は、「死」を物語の中心に据えているように見えますけど、どちらかというと「生まれる」ことを描こうとしているのかなという気がしています。死ぬとか生きるとかいうよりも、そもそも何かが「生まれる」瞬間、そして「生まれる」前の過去/「生まれた」後の未来を描こうとしているのかな、と。

 ストーリーの主軸も、まずサンゲという平和運動の団体が生まれたというところから始まりますよね。そのサンゲはたしかに「死ぬ」ことの実行を中核にした団体で、広田さんの初発のモティーフもチベットの抗議自殺だったりということはあるのですが、でも、じゃあ何のためにサンゲのメンバーが死のうとしているのかと考えると、次に産まれてくる世代のために、次世代をちゃんとした世界に産み落としてあげるために、死ぬ、というところがあると思うんです。自分たちの次に産まれてくる人たちがちゃんと生きられるように、死ぬ。もっと言えば、自分たちの行動に起因する別の未来を「生み出す」ために。

 僕にはまだ子供はいないですけれども、いずれ子供が産まれたり、或いはきょうだいの甥っ子や姪っ子が産まれて生きていく世界のことを考えたときに、僕自身はやっぱり、戦争に巻き込まれるような国だったら嫌だな、とか、治安の荒れた国であって欲しくないな、と思う。だからサンゲの人たちの極端な行動についても、死そのものではなくて、死後に「生まれた」何かの方が重要であろうと思うんです。死っていうのはあくまでレンズの透過点のようなもので、その先を見てみたいがゆえの「死」になっている気がする。

 『月の剥がれる』というタイトルも、そういう、産む性としての女性と、どこか関連しているように思います。もちろん広田さんの潜在意識におけるメタファーなのかもしれない、という程度の関連ですけれども……。


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