アマヤドリ本公演『月の剥がれる』出演者紹介! 

西川 康太郎 東京都出身 1980年生まれ
ゲキバカの前身劇団である劇団コーヒー牛乳旗揚げメンバー、以後全ての本公演に参加。
スニーカー好き、靴の置き場に困っている。
近年の外部出演作品は、 多次元プロジェクトTheFool『ひと夏のアクエリオン』、
バンタムクラスステージ『ルルドの森』
など。

─『月の剥がれる』という作品についての西川さんの考えをお聞かせください。 

 初演は二日目ぐらいに観てます。すげーけど面白くはないな、っていうのが第一印象でした。現時点で受け取っている台本(初演最終稿)とはまた違うバージョンだったと思うんですけど、物語の最初があって、真ん中があって、結末があるというお芝居ではなかったな、と記憶しています。人が悩んでいるところを順々に見せるというシーンの連続で、どこかちぐはぐで、一つの物語として受け取ることができなかった。

 でもあらためて台本を読んで、あれ、こんな分かりやすい話だったっけ?と驚いています。引き止めようとするんだけど置いて行かれる人たち、というストーリーラインがあって、それを未来から俯瞰している先生や生徒がいて、という構造は、すごく分かりやすい。初演を観たときには理解できなかった人物たちの行動の動機も、台本で読んだら、共感はできる。そんな劇的に変わってるはずはないのに、上演と台本のこの差は何だろう、っていうのは、今まさに稽古しながら考えている最中ですね。

 ただ、初演を観て自分が感じたとまどいには、やっぱりそれなりの根拠もあったと思います。『月の剥がれる』という作品は一言で言うと、問題提起しかしていない。普通は、お客さんが納得する着地点を物語として用意して、そのドラマの展開のなかで何か主張なりテーマなりを間接的に伝えるよう工夫すると思うのだけれど、『月の剥がれる』は、ドラマを展開しているというより、問題集に近い。登場人物を例題にした問題集。問いに対する答えの説得力ではなくて、問いの重要性そのもので勝負している作品になっている。だから、問題を解きに来たのではなくて答えを観に来たお客さんには、宙ぶらりん感を与えてしまいかねない。

 たとえば、『月の剥がれる』には怒りを捨て去った人たちというのが出てくるけれど、怒りを捨てる、っていうのがこの作品の「答え」ではない。『月の剥がれる』を観て「そうなんだ、怒りってとても良くないものなんだ!」って受け取る人は相当素朴な人だけですよね。普通のお客さんだったら「怒りを捨てるなんてちょっと変なんじゃないか?」と思うはずで、でもそれが結論じゃないんだとしたら、じゃあこの物語は何を伝えたかったの、ってとまどうことになる。でも広田さんが伝えたいことは、おそらく、これについて考えて欲しい、ということなんだと思う。怒りを捨ててしまって本当にいいのか。劇中先生が「正しい怒りなんてないんです」みたいなことを言うけど、本当にそうなのか。怒りって喜怒哀楽っていうコミュニケーションの一つじゃないのか。怒りってやっぱ必要じゃねーか? 怒りを全部否定したら、そもそも何も感じなくなってしまうんじゃないか、どんなニュースに対しても、どんな出来事に対しても無感動になってしまうんじゃないか?

 むしろ戯曲としては、怒りを捨ててはいけないっていうふうに言ってるようにも思えるんです。『月の剥がれる』は。もちろんそれも「結論」ではないだろうし、じゃあ正しく怒るって何なの、サンゲは正しかったの、っていうのはまた考えなければならないことなんですが。

 
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