2010年よりひょっとこ乱舞に参加、現在はアマヤドリの劇団員として活動。
EPOCHMAN『みんなの宅配便』など。
─『月の剥がれる』という作品についての小角さんの考えをお聞かせください。
作品の終盤で、「待っててね、月の剥がれるその夜を。……」という台詞が出てくるんですけど、私はそれがすごく好きで、大切にしているんです。自分が演じた役が言う台詞だということもあるんですけど、作品のタイトルじゃないですか。だから、どんな意味なんだろう、ってずっと考えていたんですけど、……例えば今ある現実が悲惨なものだったとして、その現状を変えたいという願いと、起こって欲しくなかったことが起こらなかった場合の現状、つまりパラレルワールドみたいなものを暗示するような台詞なんじゃないかと思ったんです。
例えば、或る女の人が若いうちに死を選んでしまったとして、もし彼女が死を選ばなかったら子供を産んでいたかもしれない。だけど死を選んでしまったら、産まれていたかもしれない子供とは当然出会えない。出会えないどころか、そもそもそんな「子供」は最初から実在しないことになる。でも、もし何かひとつきっかけがあれば、彼女は死を選ばないで、子供は産まれていた。そんな未来もあったかもしれない。それは、ほんの些細なきっかけかもしれない。悲惨な現状だとしても、“そうなり得た未来”、“そうはならなかった未来”という無限の可能性が存在する。そんなこともこの作品には描かれているんじゃないかと思います。
結局その女の人が死を選んでしまうとしても、そうではない、子供と出会えるような別の未来の可能性を信じることで、彼女と彼女の子供ではない別の命、別の、まだ出会っていないお母さんと子供が出会えるかもしれない。そして、その別の親子たちが出会えるようになった未来の世界のなかでは、なんとなく、その女の人と産まれるはずだった子供の居場所もあるのかもしれない……。なんて、そんな祈りが込められているんじゃないかなと。
初演では作品の最後“祈り”のポーズで終わるんですけど、そんな意味もあるんじゃないかなぁって。思っています。
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