アマヤドリ 稽古場ブログ

東京を拠点にするアマヤドリの劇団員・出演者によるブログです!

August 2016


 はい。突然ですがここで、先日8月28日、吉祥寺シアター稽古場で行われた笠井里美パイセンの「『月の剥がれる』特別企画・俳優向けワークショップ」のレポートをお送りいたします。まさに突然であり、神出鬼没と言うほかありませんね! あなたが油断しているとき、アマヤドリWSレポートは不意にやってくる──。もう少し真面目な話をすれば、このレポートはWS参加者の方々へのフィードバックという意味合いも込めて、WSで何をやったかを事細かに記述するのではなく、以下、WS内容全体を分析的に整理してやや荒っぽくまとめるつもりです。したがって、あくまで一見学者視点からの特殊なレポートにすぎないことを最初にお断りしておきます。

 さて、二日あるうちの《言葉を発するための準備》編と銘打たれたこの28日のワークショップの内容は、一言で言うと「セリフから離れる」ための訓練であったろうと思います。セリフを与えられた途端にセリフだけに忠実に演じるようになってしまうという呪縛から、どうやって逃れるか。台本に書かれていないやりとりをどうやって共演者と作り上げていくか。WSの説明文から引用するならば──セリフを発すること自体よりも、セリフを発する前の状態をいかに準備するか。WSの場は公演に向けた稽古ではないのだから、今回セリフ自体の正確さはまったく重要ではない。重要なのは、セリフが不正確なせいで流れが変わってしまってもいいから、その場で、セリフ以上に(或いはセリフと同等に)大切な何かに気付くこと。そのための実践的な試行錯誤を後半のグループワークで行い、そのための工夫のヒントを得られるシアターゲームを幾つか前半にこなす、という、そんな構成のワークショップでした。
20160828p1【拍手回し】
 このワークショップで提示された、「セリフから離れる」ための演技的アプローチの切り口をざっくりまとめると、「見る」「合わせる」「巻き込む」という三つのキーワードになるでしょうか。たとえば拍手回しというシアターゲームでは、全員が円になって、狙いを定めた相手にどんどん拍手を最速で回していくということをやりますが、その際相手と自分の拍手がまるで一人で叩いているかのように音を一致させなければならない。そのためには、先走って拍手を叩いてしまわずに、拍手を受け渡そうとしている相手がちゃんと拍手を叩ける状態か、準備が出来ているかをまず「見る」、それから一緒に「合わせる」というプロセスが必須になる。思うに、これは場合によってはセリフにおいても必須です。たとえば「どう思う?」というセリフを、(相手が聞く準備が出来てるかどうかおかまいなしに)台本の流れのなかでそれっぽく言うことと、相手をちゃんと「見」て、相手の意識にパキッと「合わせる」ように問い掛けることとでは、全然実感が異なってくるはずです。或いは、もし「合わせる」必要がないならば自分が拍手をどのタイミングで打ってしまっても失敗にはならないですが、最速で「合わせ」なければならないとなれば、タイミングを見極める必要が出てくる、それと同様に、「ねえ」とただ声を掛けるセリフも、漫然と声を掛けるか(=失敗)、相手の状態に「合わせ」て声を掛けるべきチャンスをぎりぎりまで見極めるかどうかで、緊迫感が全然変わってくる。このような、セリフを渡された途端に忘れられがちな「見る」「合わせる」という感覚は、今回のワークショップでくり返し強調されたことでした。
20160828p2【全員で動く】
 とはいえ、先に挙げた三つのうちもっとも重要なのは、紛れもなく「巻き込む」という切り口です。そもそも全体を「見」て、全体が「合わせ」てくることを予期しなければ「巻き込む」ことはできないのだから、「巻き込む」ことにヒントの多くが集約されると言っても過言ではない。ここでアマヤドリ独自のメソッド「全員で動く」がからんできます。知るひとぞ知るこの「全員で動く」は、説明が難しいのですが……空間全体を使って、全員で歩いたり止まったり走ったりを揃えて行うなかで、即興で流行を作って動きを伝染させていくということをやり、どんどん新しい動きの流れを生み出していく(言葉を使うのも自由)……といった感じです。お分かりいただけたでしょうか。とりあえず全員で空間を埋めるように動きながら、全体を「見る」ことが必須になります。そして基本的に全員の動きを同じものにする(流行をつくる)ために、周囲に「合わせる」ことも必須ですが、他方で、「誰でも自由に流れを変えていい」という+αのルールがあるので、自分から「みんな一緒にこれをやろうぜ!」というオファーを出して周囲を一挙に「巻き込む」必要もある。オファーを出して、周囲を巻き込めるか巻き込めないか──そこに、ごまかしは一切ない。見学していると分りますが、新しい流行をつくろうとして成功する場合と失敗する場合とがあります。とにかく目を惹くような面白い、楽しい変化であればすぐに伝染していきます。なぜなら全員がそれを見て飛び込んでくれるから。また、全員が今の動作に飽きているような雰囲気があるタイミングで変化を起こすと、それも広がり易いです。今回のWSの「全員で動く」の最中、アシスタントとして参加していた沼田さんが或る瞬間に見せたそれまでの流れをぶった切る動作とタイミングが面白すぎて、流石劇団員だぜ、と感銘しました。ともあれ、このメソッドで演劇的に重要なのは、自分から流れを変えること、自分から全体を巻き込むことを恐れない運動感覚を、養うことでしょう。ときには、まさに台本のセリフの裏に「一緒にこれをやろうぜ!」と相手役を巻き込むオファーを出す動機が込められている場合だってある、かもしれない。そこに込められた「これ」は、たぶんめちゃくちゃ複雑で立体的なのだろうけど(「結婚はしていないんだけど同棲はしている男女でおまえが浮気しているのがばれた女で俺はショックを受けつつそのことをわざと明るい感じで当てこすりながら責めるという痴話喧嘩を一緒にやろうぜ」など)、セリフをセリフだけで完結させないためには、そこまでさかのぼってセリフを把握した上で、相手役を、ベストのタイミングで、その複雑で立体的なイメージに「巻き込」んでやることを実践しなければならない、のかもしれない。おそらくそれが、台本に書かれている以上のやりとりを生むことにつながっていく……。「全員で動く」のメソッドは、そういうところで少なからず演技と接点を持っているのだと、愚考します。
20160828p3【シーン稽古】
 後半の台本を使った稽古のなかで、「わたしが台本に取り組むときに、台本を忠実に読んで出て来ることと正反対のことを想ってやってみるとか、最初に持ったイメージと逆のものを持ってやってみるとか、試してみることがあります。それによって相手役を驚かせると、相手役がすごく自分のことを見てくれるようになるんですよ、『こいつ何するんだ次は?』って。そうやって伝わるものがあれば、相手を動かすことができる」──という笠井さんの興味深い発言がありました。これもこのレポートの文脈で解釈すれば、相手役を「巻き込む」ために相手役に何を伝えるか、その心掛け次第で相手役を驚かせて、動かすことができるということになるでしょうか。実際、グループに分かれての台本を使った稽古では、相手役の反応を見る、お互いをちゃんと見る、目の前で起こっていることに集中する、相手のオファーを受け取れなかったら自分の判断でシーンを止めてしまってもいい、云々、といった指示のほかに、「自分の状況に対する怯えを入れましょう」「あたしがやったこと間違ってないじゃん、と思いながらやってみましょう」「ヤバい状況でもなるべく大事でないように見せましょう」「相手と仲良くなりたいと思っていると仮定しましょう」「なるべくこのシーンの空気が悪くならないようにしてください」「絶対に自分の悪意がバレないようにつとめて明るくしてください」というふうに、シーンを台本どおりすんなりやるのではなく、或る仮定を入れて、シーンのモードを変えてみるという実験も行われました。そこでは相手役と「合わせる」だけでなく、自分の抱えている複雑な動機に相手を「巻き込む」ために相手役にどういう影響を与えたらいいのか、どういうチャンスを掴んでどういうリスクを取ればいいのか、立体的に頭を働かせ、何かしらの見通しを持つ必要が出て来ます。WSの後半、グループごと、参加された俳優の方ごとに試みられた実験は異なっていましたが、「見る」「合わせる」、そして「巻き込む」という志向で課せられたアプローチの難度は、共通していたと言えるでしょう。多くの方が苦戦されながらも、思い掛けない面白い瞬間のご自身を発見していたように思います。

 ──28日のワークショップレポートは以上です。上述のとおり、あくまで一見学者視点からのレポートなので、実質的に俳優の方々がどのような体験をして何を得たのかは、分らないという前提で書いています。ただ、ワークショップで行われたことからして、全体の趣旨を体系化するとこんなふうにまとめられるかもしれない、という程度の文章でございました。よしなに。

アマヤドリ本公演『月の剥がれる』出演者紹介! 
月の剥がれる_出演者紹介_笠井里美
笠井 里美 東京都出身。
高校卒業後、劇団俳優座研究所に入所。
3年間在籍し、卒業。
2006年、ひょっとこ乱舞『水』に参加。以降、劇団員となる。
外部作品への出演には、東京デスロック、五反田団、ホチキス、ナカゴーなどがある。
アマヤドリの群舞の振付経験を活かし、最近では外部で振付をする事も。
犬猫をこよなく愛し、近年人よりも動物に話しかけている時間の方が長くなっている。

─『月の剥がれる』という作品についての笠井さんの考えをお聞かせください。
 

 初演のときはまだ客観的に作品を観る余裕がなかったのですが、三年経って距離をとって、このあいだあらためて映像を観てみたら、「壮大」な作品だなって感じました。今まで自分がかかわった演劇作品のなかでも。

 わりと広田さんの作品は劇のなかで人が死ぬっていうことが少なくて、たとえば『ロクな死にかた』だったら死んだ後、主人公が死んでからの話なのですが、『月の剥がれる』では劇中たくさんの人が死ぬ。自分が初演でやった役も、命を捧げてもいいと覚悟を決めている人なわけで、でも今の日本人の感覚からすると、ふだん命を危機にさらすことなんてないし、諸外国の紛争も遠い話だし、だから私たちの日常生活のスケールからすると、相当温度差のある作品になっている。初演のときの自分も、普通の精神状態ではない状態で演っていたように思います。

 出演者が多いから「壮大」という意味ではなくて……最初に台本を読んだときにすごいなって思ったのが、戦争の問題とありふれた「怒り」という感情を結びつけて、そこからさらに国家の基盤の憲法の話につなげているところ。もうその時点で扱っているテーマが壮大だなって感じてました。向かっている問題意識が尋常じゃない。

 そして、そういう深刻なテーマが中心にありながらも、いろんな要素を持っているいろんな登場人物が出てくる。それこそ、その人のバックグラウンドだけで一つ作品が書けちゃいそうな人物も複数出てくるし、人間関係のなかの葛藤もあるのだけれど、テーマ自体を体現するような人物はいない。いろんな視点のドラマを複雑に組み合わせていつの間にかテーマが浮かびあがるように書かれていて、そういう戯曲上の問題の捉え方の面でもまた「壮大」だな、って感じます。
 
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アマヤドリ本公演『月の剥がれる』出演者紹介!  
遠藤 杜洋 千葉県出身 1995年生まれ
大学入学時より演劇活動を始める。
アマヤドリにはこれが3回目の出演となる。
現在学業と演劇の両立のため悪戦苦闘中。
主な出演作は、アマヤドリ「すばらしい日だ金がいる」「ロクな死にかた」


─『月の剥がれる』という作品についての遠藤さんの考えをお聞かせください。

 僕がこの作品に初めて接したのは去年の『すばらしい日だ金がいる』の稽古中配布されたテキストとしてなんですが、それを通して読んで、その後映像も観て……かつて、アマヤドリはこんなとんでもない作品を演っていたのか、ということを思いました。正直。

 もっと言うと、僕は『月の剥がれる』を劇作家・広田淳一が救国のために書いたのかもしれないなとも思いました。戯曲として、現代の、同時代の日本人への広田さんなりの意見提出という側面があると思う。少なくとも、そこで提起されている問題は見過ごせないほどに大きい。もちろん劇中で行われていることを実際に実行しろ、とアジテーションしている作品ではないんですが、それにしても──何かを変えないといけないんじゃないか?という漠然とした切迫感は、映像で観ただけでも僕には伝わってきて、観終わった後にすごい割り切れないものが残ったんです。「じゃあ自分は何をするのか、何ができるのか」という問いがずっともやもやと残った。

 『月の剥がれる』の物語では、「人を殺してはいけない」という理念を突き詰めた結果、逆に多くの人が死に、「怒り」という感情を共同体として否定するというところまでいく。「戦争はよくない」「人を殺してはいけない」という僕らがあたりまえに思っている道徳の地盤が、場合によってはそこまでいくということを実験的に示している。「平和」という言葉を口にする以上、分かってなければいけないこと、分かっていたはずのことを突き付けられたという感じがして、僕は、昨今になって憲法改正の問題が浮上するより四年も前にこれが書かれていたということに、驚きました。しかもきちんと演劇作品として成立させた上でその問題を突き付けているというのが、この作品の魅力だと思います。


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アマヤドリ本公演『月の剥がれる』出演者紹介!  

池田 優香 北海道出身 1996年生まれ

7歳から、劇団ひまわり札幌俳優養成所に所属。大学進学を機に、上京。
現在、フリー。
麦のもの(特にパン!)が大好きです。

主な出演作は、札幌座「デイヴィッド・コパフィールド」、WATER33-39「友達」、
ままごと×パルテノン多摩「あたらしい憲法のはなし」


─『月の剥がれる』という作品についての池田さんの考えをお聞かせください。

 アマヤドリの作品は今まで『すばらしい日だ金がいる』と『ロクな死にかた』の二つを観ていて、根底に流れているものは重たいけれど、それをポップな感じで舞台にのせているというイメージでした。でも『月の剥がれる』は、台本を読むと、ストレートな台詞をがんがん畳み掛けたり、一方で詩みたいな台詞もあったりで、作風として「アマヤドリにはこういう作品もあるんだ」っていう意外さがまずありました。

 でも、今感じているこの作品の難しさっていうのは、作風が意外だったからというよりは、そもそもこの作品が扱っている題材をあたしがどこまで考えられるのか……どこまで理解できるのか……という難しさです。たとえば今のSEALDsみたいな感じで、もし「サンゲ」みたいな団体が出て来たとしても、あたしは絶対に参加しないだろうなって思います。最近、すごく考えてみたんですけれど……広田さんがこの作品を書くきっかけになったチベット問題だったら、もう日常生活でかなり自由を犯されていて、政治的な脅威が身に迫っているからこそ、チベットの人たちが焼身自殺してまで政治を変えたいっていうのは、納得できる気がするんです。でもサンゲのメンバーの人たちは、それなりの生活をしていて、それなりに幸せに生きていけたわけじゃないですか。そういう人たちが、政治を変えるために命を捨てるほどの行動を起こしてしまうのは、ちょっと動機が見えづらいなって感じます。たとえば但馬っていう登場人物であれば、のんべんだらりとした人生をつづけるんじゃなくて、何か劇的な行動を起こしたいっていう動機はたしかにあったんだろうけれど、その行動って、べつに政治じゃなくてもいいじゃん?って思うんです。

 サンゲのメンバーたちがとくに生活に困っていたわけでもないのに、なんで命を捨てるほどの政治的行為に走っていったのか……みたいなことは、最近よく考えています。この作品が扱っているテーマをどこまであたしが受け止められるだろうか、ということを。

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アマヤドリ本公演『月の剥がれる』出演者紹介!  

石井 葉月 東京都出身 1992年5月28日生まれ
小学生で、当時憧れていた「葉っぱ隊」に女性ではなれないという
人生初の挫折を乗り越え演劇を始める。
2015年3月「悪い冗談」以降、アマヤドリの劇団員となる。
主な出演作は、モラトリアムパンツ「ヒットナンバー」岡安伸二演出「BANRYU」等。

 
─『月の剥がれる』という作品についての葉月さんの考えをお聞かせください。 

 考えてもすぐに答えは出せないし、出たとしても、それが正解かどうかは分からない。そういう作品だと思います。作品の側から自分が問われている感じがします。

 平和のために命を捨てるっていう人達が出てくる物語ですけど、そんなこと、自分だったら絶対に出来ないだろうって思うんですね。また、未来の学校で平和のために怒りを捨てた、ひとつ人間味を失ってしまった人達というのも出てきますけど、もし怒りを削がないと平和が得られないんだとして、そこまで平和って大切なものなのか?とも思う。怒りこそ、必要な感情で、面白いものとすら思ってしまいます。

 この作品と向き合い始めて、自分の見過ごしてしまっていた事の多さに気付かされます。普段、本気になって平和についてなんて考えてなかったんですよね。今は立ち止まらされて考えざるを得ない感覚です。

 過去に自分は、ひめゆりを題材にしたお芝居をやった事があって、「戦争は無くさなくちゃいけない、戦争は起こしちゃいけない」っていう気持は、自分の中に強く芽生えたし、そういう発言も今までしてきました。でも、作品のように自分の命と引き替えにしてまで世界を平和にしたいかって問われると、分からない。反戦~!なんて言うのは簡単なんですけどね。実際自分の世界平和に対する想いの薄さに、ひきました。勿論死ぬ事だけが、正解ではありませんが、世界と向き合う本気度が追いつかないですね。

 稽古を進めていくにつれて、今後考えるべき事や課題は、増えていくと思うのですが、まずは、作品の中にそういう「問い掛け」があるという事を大切にしたいです。自分はまだ答えは出せません。人によって出る答えも違うのでしょうが、実際観る人にとっても、色んな問い掛けがあり考えるきっかけになる作品だと思います。

 その一方で──広田さんがよく言うことなんですが──そういうガチな作品であるだけに、演じ方として、重さも出しつつ、あえて明るく表現するということも必要だと思ってます。『ロクな死にかた』の時に、あたし死んでしまう役だったんですが、だからこそおまえが一番明るくやれって広田さんからは言われていて。悲しいと感じるのはお客さんであって、自分から悲しく見せるものではないって。『月の剥がれる』のDVDを最初観た時も、どんだけ暗い作品だろって身構えたんですけど、予想以上に明るかったのが印象的でした。しかも、湿っぽくないから、役の人間としての厚みみたいのが滲み出してて、あ、人間てこーゆうものか!って。真実味みたいなものを感じました。

 今回の再演でも、この作品のテーマの重さにやられて、ただ暗かった重かったというだけのものでなく、初演で感じたものを大切にしてお届けしたいです。約30人のダンスも壮大なので、段々と形になっていくのが凄く楽しみです。

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