はい。突然ですがここで、先日8月28日、吉祥寺シアター稽古場で行われた笠井里美パイセンの「『月の剥がれる』特別企画・俳優向けワークショップ」のレポートをお送りいたします。まさに突然であり、神出鬼没と言うほかありませんね! あなたが油断しているとき、アマヤドリWSレポートは不意にやってくる──。もう少し真面目な話をすれば、このレポートはWS参加者の方々へのフィードバックという意味合いも込めて、WSで何をやったかを事細かに記述するのではなく、以下、WS内容全体を分析的に整理してやや荒っぽくまとめるつもりです。したがって、あくまで一見学者視点からの特殊なレポートにすぎないことを最初にお断りしておきます。
さて、二日あるうちの《言葉を発するための準備》編と銘打たれたこの28日のワークショップの内容は、一言で言うと「セリフから離れる」ための訓練であったろうと思います。セリフを与えられた途端にセリフだけに忠実に演じるようになってしまうという呪縛から、どうやって逃れるか。台本に書かれていないやりとりをどうやって共演者と作り上げていくか。WSの説明文から引用するならば──セリフを発すること自体よりも、セリフを発する前の状態をいかに準備するか。WSの場は公演に向けた稽古ではないのだから、今回セリフ自体の正確さはまったく重要ではない。重要なのは、セリフが不正確なせいで流れが変わってしまってもいいから、その場で、セリフ以上に(或いはセリフと同等に)大切な何かに気付くこと。そのための実践的な試行錯誤を後半のグループワークで行い、そのための工夫のヒントを得られるシアターゲームを幾つか前半にこなす、という、そんな構成のワークショップでした。
このワークショップで提示された、「セリフから離れる」ための演技的アプローチの切り口をざっくりまとめると、「見る」「合わせる」「巻き込む」という三つのキーワードになるでしょうか。たとえば拍手回しというシアターゲームでは、全員が円になって、狙いを定めた相手にどんどん拍手を最速で回していくということをやりますが、その際相手と自分の拍手がまるで一人で叩いているかのように音を一致させなければならない。そのためには、先走って拍手を叩いてしまわずに、拍手を受け渡そうとしている相手がちゃんと拍手を叩ける状態か、準備が出来ているかをまず「見る」、それから一緒に「合わせる」というプロセスが必須になる。思うに、これは場合によってはセリフにおいても必須です。たとえば「どう思う?」というセリフを、(相手が聞く準備が出来てるかどうかおかまいなしに)台本の流れのなかでそれっぽく言うことと、相手をちゃんと「見」て、相手の意識にパキッと「合わせる」ように問い掛けることとでは、全然実感が異なってくるはずです。或いは、もし「合わせる」必要がないならば自分が拍手をどのタイミングで打ってしまっても失敗にはならないですが、最速で「合わせ」なければならないとなれば、タイミングを見極める必要が出てくる、それと同様に、「ねえ」とただ声を掛けるセリフも、漫然と声を掛けるか(=失敗)、相手の状態に「合わせ」て声を掛けるべきチャンスをぎりぎりまで見極めるかどうかで、緊迫感が全然変わってくる。このような、セリフを渡された途端に忘れられがちな「見る」「合わせる」という感覚は、今回のワークショップでくり返し強調されたことでした。
とはいえ、先に挙げた三つのうちもっとも重要なのは、紛れもなく「巻き込む」という切り口です。そもそも全体を「見」て、全体が「合わせ」てくることを予期しなければ「巻き込む」ことはできないのだから、「巻き込む」ことにヒントの多くが集約されると言っても過言ではない。ここでアマヤドリ独自のメソッド「全員で動く」がからんできます。知るひとぞ知るこの「全員で動く」は、説明が難しいのですが……空間全体を使って、全員で歩いたり止まったり走ったりを揃えて行うなかで、即興で流行を作って動きを伝染させていくということをやり、どんどん新しい動きの流れを生み出していく(言葉を使うのも自由)……といった感じです。お分かりいただけたでしょうか。とりあえず全員で空間を埋めるように動きながら、全体を「見る」ことが必須になります。そして基本的に全員の動きを同じものにする(流行をつくる)ために、周囲に「合わせる」ことも必須ですが、他方で、「誰でも自由に流れを変えていい」という+αのルールがあるので、自分から「みんな一緒にこれをやろうぜ!」というオファーを出して周囲を一挙に「巻き込む」必要もある。オファーを出して、周囲を巻き込めるか巻き込めないか──そこに、ごまかしは一切ない。見学していると分りますが、新しい流行をつくろうとして成功する場合と失敗する場合とがあります。とにかく目を惹くような面白い、楽しい変化であればすぐに伝染していきます。なぜなら全員がそれを見て飛び込んでくれるから。また、全員が今の動作に飽きているような雰囲気があるタイミングで変化を起こすと、それも広がり易いです。今回のWSの「全員で動く」の最中、アシスタントとして参加していた沼田さんが或る瞬間に見せたそれまでの流れをぶった切る動作とタイミングが面白すぎて、流石劇団員だぜ、と感銘しました。ともあれ、このメソッドで演劇的に重要なのは、自分から流れを変えること、自分から全体を巻き込むことを恐れない運動感覚を、養うことでしょう。ときには、まさに台本のセリフの裏に「一緒にこれをやろうぜ!」と相手役を巻き込むオファーを出す動機が込められている場合だってある、かもしれない。そこに込められた「これ」は、たぶんめちゃくちゃ複雑で立体的なのだろうけど(「結婚はしていないんだけど同棲はしている男女でおまえが浮気しているのがばれた女で俺はショックを受けつつそのことをわざと明るい感じで当てこすりながら責めるという痴話喧嘩を一緒にやろうぜ」など)、セリフをセリフだけで完結させないためには、そこまでさかのぼってセリフを把握した上で、相手役を、ベストのタイミングで、その複雑で立体的なイメージに「巻き込」んでやることを実践しなければならない、のかもしれない。おそらくそれが、台本に書かれている以上のやりとりを生むことにつながっていく……。「全員で動く」のメソッドは、そういうところで少なからず演技と接点を持っているのだと、愚考します。
後半の台本を使った稽古のなかで、「わたしが台本に取り組むときに、台本を忠実に読んで出て来ることと正反対のことを想ってやってみるとか、最初に持ったイメージと逆のものを持ってやってみるとか、試してみることがあります。それによって相手役を驚かせると、相手役がすごく自分のことを見てくれるようになるんですよ、『こいつ何するんだ次は?』って。そうやって伝わるものがあれば、相手を動かすことができる」──という笠井さんの興味深い発言がありました。これもこのレポートの文脈で解釈すれば、相手役を「巻き込む」ために相手役に何を伝えるか、その心掛け次第で相手役を驚かせて、動かすことができるということになるでしょうか。実際、グループに分かれての台本を使った稽古では、相手役の反応を見る、お互いをちゃんと見る、目の前で起こっていることに集中する、相手のオファーを受け取れなかったら自分の判断でシーンを止めてしまってもいい、云々、といった指示のほかに、「自分の状況に対する怯えを入れましょう」「あたしがやったこと間違ってないじゃん、と思いながらやってみましょう」「ヤバい状況でもなるべく大事でないように見せましょう」「相手と仲良くなりたいと思っていると仮定しましょう」「なるべくこのシーンの空気が悪くならないようにしてください」「絶対に自分の悪意がバレないようにつとめて明るくしてください」というふうに、シーンを台本どおりすんなりやるのではなく、或る仮定を入れて、シーンのモードを変えてみるという実験も行われました。そこでは相手役と「合わせる」だけでなく、自分の抱えている複雑な動機に相手を「巻き込む」ために相手役にどういう影響を与えたらいいのか、どういうチャンスを掴んでどういうリスクを取ればいいのか、立体的に頭を働かせ、何かしらの見通しを持つ必要が出て来ます。WSの後半、グループごと、参加された俳優の方ごとに試みられた実験は異なっていましたが、「見る」「合わせる」、そして「巻き込む」という志向で課せられたアプローチの難度は、共通していたと言えるでしょう。多くの方が苦戦されながらも、思い掛けない面白い瞬間のご自身を発見していたように思います。
──28日のワークショップレポートは以上です。上述のとおり、あくまで一見学者視点からのレポートなので、実質的に俳優の方々がどのような体験をして何を得たのかは、分らないという前提で書いています。ただ、ワークショップで行われたことからして、全体の趣旨を体系化するとこんなふうにまとめられるかもしれない、という程度の文章でございました。よしなに。